何だか偉そうなタイトルですが。

machi20042008-02-19


最近すっかりシャンボール・ミュジニーの魅力にとりつかれてしまい、気がつくとミュジニーばかり飲んでいる。いかん、金が持たない。
というわけでアミオ−セルヴェル2001 レ・シャルム。
今度はプルミエ・クリュの畑なものでお値段やや高め。確か8000円也。

しかし確かに前回のエルベ・ルーミエより美味い。求めていた『シャンボール・ミュジニー』像に近い味がする。雑味が全然なくて、軽やかだけど、でもしっかりした果実味があって、そして何より品がある。時間が経つほど味のまろやかさは増していくんだけれども、決して甘さに崩れない。

シャンボール・ミュジニーを思うときイメージするのはいつも、控えめだが品のいい貴婦人だ。とびきり美人というわけではないし、強烈な個性があるわけではないけれど、春の光のような暖かみと、芯の強さを併せ持っている。その地味さに物足りなさを感じる人も少なからずいるだろうけれど、私はこのある種の『抑制の美』を感じさせる味が好きだ。

ブロムシュテットの演奏にこれと相通じるものを感じる。
先日モーツァルト交響曲40番と41番がやってきた。その前にカラヤンのそれを聞いていたのだが、あまりの印象の違いに同じ曲とはちょっと思えなかった。特に41番。カラヤンの威厳たっぷりな演奏もまあ悪くないのだけれど、ブロムシュテットの天女の羽衣みたいに軽やかな演奏には、きっとモーツァルトはこんな風に奏でて欲しかったんじゃないのかな、と自然に思えた。
私は音楽のことは何も知らないし、また上手く言えないのだけれど、「ことさら」感が何もないのだ。「ことさら」華やかに演奏しようとか、「ことさら」重々しくしようとか、そういった余計な付け加えが感じられない。作曲者の意図を忠実に、ある種の抑制と品性をもって追求したらこの音楽の形になった、そんな自然さがこの演奏にはある気がするのだ。

まあ、これも私がブルゴーニュ贔屓だから音楽にもその傾向が現れているだけかもしれません…タンニン多めのカラヤンの演奏のほうが、ボルドー好きには好まれるのかも(そうか?)。

そういや前回ジャンvs千秋をカラヤンvsブロムシュテットで比較したけど、ジャンはどちらかというとプレヴィンあたりだな、やっぱり。どれ聴いても何となく気持ちいい感じとか