ジェフリー・フォード『記憶の書』

読了。
 山尾悠子さんが翻訳に参加して話題となった『白い果実』の続編。三部作の二作目にあたります。
『理想形態市』崩壊から8年後の設定。観相官を辞めてウィナウの村で薬草取ったり子供取り上げたりしながら慎ましくも穏やかに暮らしていたクレイ。そこに再びマスター・ビロウの影が迫る。ビロウによって「眠り病」が蔓延した村を救うため再びシティに赴いたクレイが見たもの、それは自らも眠り病に冒されたビロウの姿だった。治療薬を探すため、クレイはビロウの「記憶の宮殿」(彼の頭の中の世界)へ向かう。果たして治療薬は見つかるのか? てな話。
うーん、つまらなくはないんですが、なんというか食い足りない印象。今ちょっと『白い果実』を読み返したんですが、こちらのほうが断然文章に品があるし、隙がない。山尾さん独特の、硬質で精緻な文体が物語の隅々まで行き渡っている感じ。あとがきで金原氏が「もしかしたら原作を越えてしまったかもしれないと危惧しているくらいだ」と述べられているのも頷ける。個人的には『理想形態市』で一級観相官であるクレイが人の顔の上に容赦なくメスと両脚側径器を振りかざしていたころの悪魔的な文章がぞくぞくするほど好き。

『記憶の書』では山尾さんではなく、貞奴という詩人の方がリライト作業に加わっているそうですが、それによって何がどう、という感じはあまり受けなかった。確かにところどころ表現を工夫しているな、と思われるところはあったけれど、それは個々単発にそういった部分が見受けられる程度で(しかもそれが必ずしも成功しているとは言いがたい。「莞爾」を「にっこり」と読ませたからどうだというのだ)、全体としてある一つの世界を描き出すというレベルにまで至っていない気がした。
特にビロウの記憶世界が大して美しく見えなかったのは痛い。アノタインたちの住む浮島の描写がなんとも平板で、通常誰かの空想世界に出会ったときに感じる「初めて触れる世界へのわくわく感」がなかったのはさびしい限り。
まあこの辺はもともとの原書の筋自体の問題かもしれませんが。
ストーリーも、三部作の真ん中にありがちの「橋渡し」的な筋だったので、読み終えたときのカタルシスはいまひとつ。あと言っちゃ何ですが全体にストーリー展開がえらいご都合主義。まあ、もともと筋の運びを楽しむというより、世界の描き方を楽しむ小説なのでしょうけど。

とりあえず三作目(と、そのリライトゲスト。できたらまた山尾さんに戻ってきて欲しいなー)に期待します。いつ出るのか分かりませんが……。